So-net無料ブログ作成

サッカーJリーグYBCるヴァンカップ準々決勝第1レグ、大宮vs.横浜FM戦を取材。

台風一過、再び夏が戻ってきました。
気温は30度近くまで上がりましたが、湿度は低く過ごしやすい8月の最終日でした。

8月も今日が最終日。日本代表の公式練習、公式会見があったのですが、そこはやはり試合の取材が優先です。
午後2時、自転車で出発。NACK 5スタジアム大宮を目指します。
4時10分前に報道受付到着。ADナンバーは1番でした。

ヤマザキナビスコカップからYBCるヴァンカップに名称が変更になりました。
シーズン途中に、大会名が変わるのは空前絶後のことでしょう。
記者室で提供されるお菓子も、りっつ、やオレオが消えて、るヴァンクラッカーに変わっていました。
わたしは、昔のほうが好きだな。

5時すぎ、試合メンバー氷河配布。
大宮アルディージャのスタメンは、GK加藤(浦和ユース)。DF渡部(大宮ユース)、菊地(浦和東)、河本(滝川第二)、大屋(広島ユース)。MF横山(帝京)、大山(大宮ユース)のダブルボランチ、右翼がマテウス(ブラジル)、左翼が清水(西武台)。FW家長(ガンバ大阪ユース)、江坂(神戸弘陵)。中盤ボックスの4:4:2の布陣です。(カッコ内)はユースネbb大の所属先。外国籍選手は国名。
対する横浜F・マリノスの先発は、GK榎本(横浜FMユース)。DF小林(静岡学園)、中澤(三郷工技)、ファビオブラジル)、金井(横浜FMユース)。MF喜田((横浜FMユース)、兵藤(国見)のダブルボランチ、右翼がマルチノス(オランダ)、左翼が齋藤(横浜bFMユース)。FW伊藤(中京大中京)、前田(東京ヴェルディユース))。4:4:2の0布陣です。

午後7時3分、大宮のキックオフで試合開始。

続く

{結果}
大見アルディージャ 2-1. 横浜F・マリノス(前半1-0)


台風10号来週。自宅で待機。

未明から台風10号の影響で激しい風雨の東京地方。

いったん、お昼ころ雨が洗ったのですが、夕方再び雨が降り出しました。

埼玉スタジアムで行われていた日本代表のトレーニング取材は、結局とりやめ、自宅で作業をしていました。

2015年のアジアカップのUAE戦ビデオを見直そうとしましたが、
「このディスクは使用できないディスクです」と画面に出るばかり。
取材すかうてぃんぐはできませんでした。
どうも我が家のレコーダーは不調のようです。

夕方、柳沢まで買い物に出かけただけ。

のんびりと休養の1日になってしまったスポーツ三昧でした。

サッカーJヴィレッジ復興プロジェクト キックオフ記者会見を取材。

東京地方は、朝から台風10豪の影響で雨が降ったりやんだり。

午後1時ころ、なんとか上がりそうだったので、自転車で御茶ノ水のJFAハウスへ。
2011年3月11日の東日本大震災閉鎖されているサッカーJヴィレッジが2018年夏に再始動するという記者会見。
福島県の内堀知事が主賓です。田嶋JFA会長、岡村正日本ラグビー協会会長、日本女子サッカー代表の高倉麻子監督、ラグビーの日本代表大野均選手、澤穂希さんが復興サポーターということで参列しました。

東京電力の福島原発の前線基地は6月に移転、Jヴィレッジの除染もすでに終了しているそうです。
2018年の夏に一部再開、2019年の4月には全面営業を再開するそうです。
そこで先立つものは金、ということで、一口2000円の浄財を募るそうです。

ラグビーのワールドカップ、東京オリンピック、パラリンピックの合宿地としても使用されるようです。

まあ、復興のシンボルということで、喜ぶべき事なのでしょうが、いまだに仮設住宅住まいの人はたくさんいますし、自分の家に帰れない人も多い。手放しでは喜べません。

それに、いまだに「アンダーザコントロール」されていない、福島原発。数キロに位置するJヴィレッジの危機管理は大
丈夫なのか?
少しだけ心配です。

会見のあと、保留になっていたの木曜日の代表戦の取材申請。広報部にかけあって、なんとかクリアーになりました。やれやれ。

大仕事を澄まして5時30分には3階記者質を後にしました。
記者のおおくは埼スタで行われている代表のトレーニング取材に出かけており、閑散としていました。

そんなスポーツ三昧でした。


サッカーJ1リーグ2ndステージ第10節、川崎フロンターレvs.柏レイソル戦を取材。

朝から雨が降ったり止んだりの東京地方。

午後2時30分、雨が止んだのを見計らって自転車で等々力スタジアムへ。

4時すぎにスタジアムに到着。
ADカードのナンバーは2晩でした。

5時、試合メンバー表が配布されました。
川崎フロンターレのスターティングラインアップは、GKチョン・ソンリョン(韓国)。DFエウシーニョ(ブラジル)、井川、谷口(大津)、車屋(大津)。MF大島(静岡学園)、エドゥアルド・ネット(ブラジル)のダブルボランチ。トップ下が中村(久留米)。FW小林(麻布大淵野辺)、森谷の2シャドウ、大久保(国見)の1トップ。4:3:3の布陣です。

対する柏の先発は、GK中村。DF茨田、中谷、中山、輪湖。MF栗澤、秋野のダブルボランチ、右翼が伊東、左翼が中川。FWディエゴ・オリベイラ、クリスティアーノ。中盤ボックスの4:4:2の布陣です。

続く


{結果}
川崎フロンターレ 2-5 柏レイソル(前半1-4)

,今日も天候不順の1日。夕方吉祥寺へ。

お天気は、なかなか夏らしい日に戻りません。

突然、夕立のような雨がきたり、なかなか油断なりません。

午後、NHK Eテレで全国高校総体競泳の放送がありました。
リオで活躍したスイマーが4人も出場していたのにはびっくりしました。

そのあと、羽田に小池百合子都知事と日本選手団本体が帰国、都内のホテルでメダリストの気sぢゃか意見が催されたようですが、情報がなく取材に行けませんでした。

夕方、吉祥寺のヨドバシカメラまでお使い。

そんなスポーツ三昧でした。

アメリカンフットボールXリーグプレスカンファレンスを取材。

台風一過の好天とはならず不安定なお天気の1日。

午後、東京ドームホテルで、今週末開幕になるアメリカンフットボールXリーグプレスカンファレンスがあったので主zくぁいにいってみました。

自転車で行きましたが、なsんとか雨に降られず、行きつきました。

Xリーグ、今季から試合方法が変わり、地域の関係なく実力で区分。実力差の近いチームが初戦から戦う興味深いリーグになりました。
最後は12月12日のジャパンXボウルに向かって、リーグ上位8チームがトーナメントで社会人日本一を争います。

各チームの監督、首相が登壇、新シーズンにかける豊富を語りました。

その後、囲み取材のあと、関東大学アイスホッケーリーグの記者発表会も併催されました。
こちらは上位リーグをTOP8とBIG8にわかて実施してから3年目。まさに進化の問われるシーズンになりそうです。

毎回のことながら、飲み物、軽食なども用意され、充実した資料も手にすることができました。
メディア関係者にとっては、なかなかうれしいカンファレンスです。

3時ころにホテルを失礼しました。
買い物をして、6時前に帰宅。

久々にスポーツジャーナリストらしい1日を過ごせたスポーツ三昧でした。

リオデジャネイロ・オリンピックが終わりました。

台風9号の直撃を受けた東京。
どこにも出かけず自宅でオリンピックTV観戦。

閉会式、総集編などじっくり見ました。

閉会式、次回開催地の東京のデモンストレーションも披露されました。
まずまずの出来でしたが、安倍首相の登場はいかんでしょう。
なにしろ、福島原発の事故を招致の時に、
「アンダーコントロール」と嘘をついてしまった人ですからね。

ともかくリオ五倫は終わりました。

明日からは平常業務(?)に戻ります。
台風のせいか久しぶりにWebが通じたのでブログの記事を更新しました。

そんなスポーツ三昧でした。

長らくご無沙汰をしました。

本ブログを半月以上お休みさせていただきました。

8月に入り不摂生がたたり、8月初旬に体調を崩してしまいました。

サッカーEURO。テニスとゴルフの全英オープンなどTVライブ中継を見ていたため完全に時差ボケ。
暑いので上半身裸、掛布団なしの寝冷え。

悪寒に激しい腹痛。そのために水分、栄養補給ができず、完全に体調を崩しました。
そしてバックアップPCも完全に不調。体調と同時のPC不調。メールも読めない状態です。
やむなくブログも更新できませんでした。

8月3日からはリオデジャネイロ`・オリンピックが始まり、7日からは夏の高校野球も始まっています。休養を兼ねてじっくりと観戦させていただいうています。

6日の広島原爆忌、8日の天皇陛下の会見、9日の長崎原爆忌、15日の敗戦記念日と世の中は容赦なく動いていきます。

すでに立秋を迎えていますが残暑は厳しい。
2週間にわたる、あまりにも長いお休みですが、完調には、ほど遠い。

そんなスポーツ三昧です。

九重親方(元横綱千代の富士)逝去に思う。

今日から8月。今年も残すところ5カ月です。

そして昨日、大相撲の九重親方(元横綱千代の富士)が逝去されました。享年61歳。あまりにも早すぎる逝去でした。

千代の富士さんには、強い思い入れ思い出があります。
彼が関脇kら大関に亜養親子タ場所、講談社という出版社で仕事をしていたとき、日本の出版界では前例のないA3版の写真集(ムック)を発行しました。その時のスタッフに選ばれ政策に携わったのです。
発行部数も25万部というスポーツモノの出版物では破格でした。
この本、結局判型が大きすぎて、書店さんがあまり良い場所に置いてくれなくて、10万部程度しか売れませんでした。そういう意味では発行物とは失敗だったかもしれません。
しかし、チーフエディターの浜田さんの下、カメラマンの仙波さん、松川さんなどとアイディアを出しながら、やりたいことをすべて出せた1冊だったと思います。

その本を作ったときは、直接に千代の富士関を取材することはありませんでした。
ところが、一昨年の年末に九重親方のインタビューに立ち会えることになり、はじめてお会いすることができました。これは笹川スポーツ財団の「日本スポーツ史の検証」というHPで見られます。
1時間あまりのインタビューでしたが、親方の人となりが良くわかり、うれしくなりました。
数多くの仕事の中でも楽しい仕事の一つになりました。

ともかく、わたしよりも若い親方が膵臓がんで亡くなったのは、本当に残念です。
合掌。

午後にゲリラ雷雨がありました。
天候不順の東京です。

そんなスポーツ三昧でした。

 
メッセージを送る